ニュースコラム
またか、雅也。
by ETOH Takashi 2005.7.25
サッカーの新雑誌創刊に絡んで西川周作のインタビューをお願いしていたのだが、当初の要望から1週間以上下がって許可が出る。HOT6だったから仕方ない。
そんなこんなで鹿島戦後の取材となったのだが、月曜日か水曜日という話が木曜日で決着。
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ニュースコラム
パット、帰国。
by ETOH Takashi 2005.7.15
帰国便へと乗り換えるために成田空港で時間をつぶす必要があったとはいえ、パトリックはサポーターと同じテーブルで話を続けていた。大分での思い出を、1年かけて覚えた日本語と、母国語と同レベルに使いこなせる英語を使って。
古いつきあいのあるサポーターとの時間のように、時に積極的になりながら話を続けてくれた。つきあわされているというような表情は全く見られなかった。
「大分は4-3-1-2のシステムがいいと思うんだ。2トップの一角はドドではない方がいいかもしれない。吉田は左足もいいものを持っているが右はもっといい。サイドで使うよりは1で使うとおもしろいと思う。ボランチでもいいな。その時は梅田とのコンビだ。今の大分は中盤と前線との距離が離れすぎていてロングボールだけになっている」などなど。問わず語りに戦術論を披露してくれたのには驚いた。
ワールドユースでユトレヒトに行った時に、パトリックに似た人を見かけ「パトリック?」と聞いて恥をかいたと言うと「その彼はぼくの事はわかったのかい? プレスルームに行ったのならぼくの写真は見つけた? 大きな優勝カップを掲げている写真があるんだ」と饒舌になった。
ずいぶん昔に三木隆司にパトリックとの最終ラインのコンビネーションを尋ねたことがあった。彼は「パトリックが日本語を使えるから問題ないですよ」と答えた。パトリックは、外国人助っ人にありがちな我が道を行く、というスタンスではなく、積極的にチームメイトにとけ込みそして日本語を覚えた。そんなきさくな人間性は、彼を目の前にして話すことで改めて実感できた。
実はパトリックは、先日の広島戦で大分のゴール裏に姿を現している。
CLUB HOUSE KAZ:広島戦諸々
うげっ、パットが来た!まじでビビッタ。
折角来てくれたんだから挨拶してもらおうと思って手招き。
遠慮ってか、何か言ってたんだけど取り敢えず脚立へ。そしてパットコール。
で、降りてきたパットから
「今日はゴール裏で見たいけど、いいか?」
「向こうにいるとガードマンが…」
「正式な挨拶は水曜に」「場内一周」「またココに来る」
と言ったんで「もちろんゴール裏で見るのはOK」と返答。
皆にその事と、水曜の事を伝える。
それからパットに「CERTOはどこ?」って聞かれた。
ここにはいないと伝えると凄ぇ残念そうだった。寄せ書きしてたのか。俺も書きたかった。
それからパットは中央の上段部へ行ったんだけどそりゃもう凄ぇ騒ぎ。
俺達が中央に寄って下さい!って声かけるよりパットが入っただけで密集状態w
当たり前なんやけど。パットと俺が替われば凄ぇ密集になったのかも。
でまぁ、そりゃしょうがねぇと思ってたけど入場間際になっても大騒ぎ。
「気持ち切り替え!」「ピッチに集中!」
で、入場してきたらパットからビールの差し入れ。
無理。この状況は受け取れねぇ…。気持ちだけありがとう…。
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パトリックの驚きの行動に観客は半ばパニック状態に陥り、応援にも少々支障が出てしまったほどだったという。
ちなみにその行動について尋ねると「一度あのゴール裏から見てみたかったんだ。それにユトレヒト時代にも2回くらいゴール裏で見たことがあるんだ」とのこと。他人に対する警戒心が薄いというか、人がいいというか。
そんなパトリックの人間性は大分のサポーターのハートを鷲掴みにしたらしく、クラブトリニータで行われたさよならサイン会にはなんと3000人のサポーターが詰めかけ、4時間あまりに渡ってひたすらサインと写真を撮り続けたという。
腱鞘炎は大丈夫かとジェスチャーで尋ねると「手首じゃなくて肘を動かせばいいんだよ」と笑っていたパトリックだが、だからといってなかなかできることではない。
無意識にか、サポーターに愛される振る舞いをしてきたパトリックだが、最後はおそらくは大分トリニータ史上始まって以来となる退団セレモニーが催され、サポーターに盛大に送り出してもらっての円満退団となった。
大分在住のサポーターは、パトリックが旅立つ福岡空港に集結。渡されたプレゼントは総重量にして20kgに及んだという。
今現在オランダでのコーチライセンスを段階的に取得中だというパトリックは10年後の監督としての大分への復帰を狙っていると発言。ファンにはたまらない言葉だと思う。
ちなみに次に移籍するのはエールディビジのNAC。小野伸二のチームメイトとして活躍していた事で日本人にもなじみの深いピエール・ファン・ホーイドンクやオーストラリア代表のトニー・ヴィドマーといった選手を補強し、上位復帰を狙っているところだ。ちなみにこのリンク先にはパトリックの名前はないが、彼曰く3年契約を結んでいるとのこと。
エールディビジには小野伸二が所属するフェイエノールトに加え、先日書いたエンスエーデを本拠地とするトウェンテ、そしてパットが移籍したNACなど気になるチームが増えてきた。そんなわけでスカパー!の新しいサッカーセットを検討しようかと思っているところだ。
最後までパトリックはフレンドリーに振るまい、ORANGE RANGEの花(アフィリエイトリンクです)が収録されたmusiQ(アフィリエイトリンクです)を購入して出国ゲートをくぐった。本当に珍しく誰とでもきさくに話し合える選手だった。たぶん、サッカー界に居続けていればまた会える日もあるだろう。というか、本当に再会したい選手である。新しい環境での活躍を期待したい。
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ニュースコラム
エンスエーデで起きてたこと
by ETOH Takashi 2005.7.7
2005年ワールドユースオランダ大会を戦ったU20日本代表最後の舞台となったのはエンスエーデという町のスタジアムだった。第一試合として行われていたイタリア対アメリカを見る観客の雰囲気は、どこかしらよそさまの試合という感じを漂わせていて、スタジアムは静寂の時間が長かった。もちろんそれは自分たちとは関係のない第三国同士の対戦では当然の反応だろう。そんなスタジアムの空気は第二試合の日本対モロッコで一変する。
第一試合の試合中からモロッコ人は徐々に集まりはじめ、まだイタリアとアメリカが試合を行っている間からモロッコの応援をはじめる。自分たちの代表の試合を直前に控え、
気持ちが高まる気持ちはわかるが、やはりスタジアムに居た人たちはいい気分にはならないはず。そしてそれはエンスエーデを本拠地とする FCトゥエンテのサポーターが、日本代表サポーターに対して感じる思いと共通するものがあった。
エールディビジに所属し、中位で昨シーズンを終えたこのチームのチームカラーは赤。そのゴール裏に、ホームチームの扱いで試合をする日本代表サポーターがいつもの青い横断幕を掲げた。
「常に赤の横断幕を貼ってきたゴール裏に青の横断幕を貼られたんだ。いい思いをするわけがないよ」とトゥエンテサポーター。彼らは「小野伸二なんて死ねばいいと思っているし、日本人も大嫌い」だったという。
話を少しだけそらす。
トゥエンテのゴール裏の下にある通路の壁に一枚の肖像画が描かれている。
「ERIK YOU'LL NEVER WALK ALONE」という言葉が添えられた肖像画のERIKは、数年前に数百人のロッテルダムからきたサポーターに囲まれそして殺されたのだという。だから「小野伸二FUCKであり、日本人HATE」なのである。
トゥエンテサポーターがロッテルダムや小野伸二を通して、日本というものを憎んでいたというバックグランドを全く知らないまま、日本代表サポーターは普通に横断幕を用意しそして応援に備えた。メインスタンドから見て右奥のコーナーフラッグ付近に位置取った日本代表サポーターは、モロッコ人サポーターに囲まれながら試合開始の時間を待っていた。
十数人、試合中隣に立っていたトゥエンテサポーターに言わせると「わざわざ日本から来た20人(オランダ語でトゥエンテ)」のサポーターが、数で圧倒するモロッコ人サポーター(彼らの大半はヨーロッパに移住し、移動が比較的簡単)との圧倒的な数の違いの中での対戦を覚悟していた試合直前。状況が一変した。
通路を足早に上がってくるオランダ人。その行動を不思議に思っていたが、日本代表サポーターが位置取った場所に集まってきた。その数はみるみる増えてゴール裏のコーナーの一角を占めるまでになった。
「俺たちが青を応援することなんてないと思ってた」というトゥエンテサポーターの気持ちを変えたのは、一人の人間として、顔を向き合わせてコミュニケートした植田朝日氏の試合前の行動だった。
「日本対モロッコ戦の前にトゥエンテサポーターといろいろ話をした。サッカーの話はもちろん、コールを教えてもらったりして仲良くなって。スタジアムのバーに行くと『ハイ、ボス』なんて言われて5〜6杯のビールが出てきて飲む羽目になった。でもそういうのが良かったのかもしれない」(トゥエンテのスタジアム内には、サポーターが運営するバーが併設されており、オフィシャルショップ以外でもビールが買える)
試合開始直後には、トゥエンテの試合で使っているものとおぼしきロゴ入りの太鼓が3〜4個搬入され、彼らのリズムで、彼らが普段やっているコールをベースに日本代表の応援が始まった。モロッコの応援はその上を行っていたのかもしれないが、それに比肩できるボリュームの応援だった。
前半20分頃、ゴーウエストのリズムに乗ったコールが始まるとゴール裏を中心に多くの普段着のオランダ人が立ち上がって手拍子を合わせている。その光景を見ていると隣のトゥエンテサポーターが「みんな日本人のために立ち上がって居るんだ。意味がわかるか?」と話しかけてきた。そんなことが何回か続いてようやく理解した。つまり「日本を応援するために立ち上がろうぜ」という替え歌を歌っていたのである。そういえば、コンフェデ杯準決勝、ドイツ対ブラジルでも同じようにゴーウエストの替え歌が歌われ、スタジアムに集まったサポーターが立ち上がるシーンがあった。そうやって考えると、エンスエーデのスタジアムは、日本代表を応援する友好的な雰囲気に包まれていたことがわかる。
そんな応援がU20日本代表のパフォーマンスにどの程度の影響を与えたのかは定かではないが、事実として彼らはワールドユース大会期間中最高のパフォーマンスを披露した。
試合後。「日本にはがっかりだよ」という反応を示したオランダ人が一人だけいた。そういう反応からもわかるが、モロッコではなく日本の応援だったのには、一つには人種や宗教の違いによる「モロッコ憎し」の感情があったのだろう。が、それにしても、それ以外の人たちは「残念だったな。だけどいい試合だったよ」と声をかけてくれた。
悔しくてしばらくスタンドにたたずんでいると、トゥエンテサポーターが走り出し、モロッコ人サポーターとそこかしこで殴り合いのケンカを始めたのには驚いたが、どうやらオランダではそれが普通の光景らしい。
モロッコ人サポーターが、日本代表サポーターを指さして笑っている。いわゆる嘲笑というヤツだ。「極東からヨーロッパまで出てきてご苦労なことです」くらいの気持ちを込めているのだろう。それだけならまだ我慢できたが、日本人だったら誰もが愛着を持っていると思われる「ULTRA NIPPON」の横断幕を引きずり落とされたのには凍り付いた。おかげで何カ所かが破れ、ひどいダメージを負ってしまっていた。まあ、それがアウェイというものなのだろうけど。
保安上の問題ということで、試合後しばらくスタンドに居るように言われたが、モロッコ人サポーターがはけた後に下に降りたらトゥエンテサポーターがまだバーで飲んでいた。「ちょっと飲んでけよ」などと楽しく談笑していたら、オランダ人警官が突如として現れ、力ずくで一人のサポーターを連行していった。
「あれがこっちの警察のやり方なんだ」とトゥエンテサポーター。何がなんだかわからず呆然としていると、もう一人のサポーターが強引に地面にねじ伏せられ、連れて行かれた。
「おれもああやって連れて行かれそうになって、反抗したら警察犬にかまれてさ」と目の前で笑っているArjanの腕には、大きな傷が入っていた。
試合後、成り行きで日本代表サポーターだけの打ち上げに混ぜてもらったが、その場で植田氏が「自分たちのポリシーを曲げてやったのが良かったのかはわからない。だけどそれで日本を応援する声は大きくなった」と話していた。確かに難しい問題だとは思う。だけど、例えばケルンでの日本対ブラジル戦終盤でスタジアム中から沸き上がったドイツ人による「ニッポン」コールや、ハノーバーで聞かれた「ヤーパン」コールなどを聞いた人間としては、地元サポーターを味方に付けるやり方は悪いわけではないと思う。少なくともブーイングを浴びるよりはいいのではないかと思う。
それにしてもヨーロッパの応援はまた日本とは違うものがある。一番優れているのは、自分たちの歌よりも状況を優先する機動力である。そしてそれは観客一人一人が状況判断できるだけのサッカーに対する理解を持っていることに他ならないが、こうした応援論は長くなるのでとりあえずはこれくらいで。
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ニュースコラム
雅也シートと沖代SC
by ETOH Takashi 2005.5.31
5月7日から5月8日にかけてのこと。
5月7日の試合を取材して羽田へ移動。そのタイミングで加藤雅也のお父さんに電話をしていたのだが、大分市内へのバスの中で携帯の留守電に残された一件のメッセージに気がついた。
「たかしちゃんかえ。ついたら電話ください」
とのこと。ぼくの事を名前で呼ぶのは親くらいしかいないが、声は雅也のお父さんである。しばし悩みつつ本物の父親に電話したら「電話しちょらんわ」とのこと。そこで雅也父に電話すると「おー、着いたかえ。ちょっと出てこんね」と誘われた。
まあ、断る理由もないので出て行くと「ちょうど電話もらったときに雅也の本の話をしてたところでな、江藤さんの話が出てたんだよ」とちょっと怖いことを言う。まあ、昨年来、雅也にまつわる事で奇妙な偶然はいくつもあったので、ちょっとのことでは驚かないのだが、それにしてもまた偶然、というか必然なんだろうけど、が重なった。
ちなみに雅也本はお盆に間に合わせて作られるとのことで、無料配布するみたいです。お盆のお参りに来た人にはもれなく、と言ってたかな。300刷っても1000刷っても紙代は変わらないので、1000刷ればいいと思うんですが、その後の動向が気になるところです。
で、しばらく話してたんですがそのうち雅也父から「たかしちゃん」と呼ばれはじめる。お父さん、ぼくの事を息子だ、みたいな感じで接してくれた。いろいろ期待してもらってるし、その裏返しなんですが、本当に感謝ですね。
川崎戦の試合当日。5月8日のこと。
試合前になにげにオーロラビジョンを見ていたら加藤雅也の顔写真入りで「雅也シート」の説明が出ていたんですがそこで死ぬほど驚くことが。
なんとこの日招待されていたのが中津沖代SCだったのです。そこで引率されていた方に話を聞きましたが、まさにビンゴで、ぼくが卒業した中津市立沖代小学校のサッカーチームの子供たちでした。沖代小学校はぼくが小学校4年の時にできた新設校で、その時からサッカーを始めたんですが、まさかそのチームの子供たちがスタジアムに来ているとは思っていませんでした。
引率の方に現在の指導者の話を聞くと、当時監督をされていた南さんはすでに現場を離れ、5年だったか、6年生の時にコーチとしてチームにやってきた高橋さんが指導されているとのこと。そこで20年の月日の重みを感じました。
ちなみに雅也父さんに話を聞いたら雅也シートは大分県サッカー協会の方から割り振りをしてもらっているらしく、加藤家は招待校の選別に関しては全然タッチしていないとのこと。本当に驚きました。
そんなこんなで試合翌日の皇甫官監督のインタビュー後に、ようやく雅也のお墓に参ることができました。いい大人が2人いたんですが2人とも花をどうすればいいかとか、線香とか全然作法がわかってなくて笑いました。
お墓にはお花も、好きだった缶コーヒーもビールも備えられていて、幸せもんだなぁとしみじみしちゃいました。それにしても、ようやくお参りできて良かったです。
そんなこんなでひとまず東京に帰っていたんですが、後日高橋さんから封書を頂きまして、近況をお知らせして頂きました。なんか、ぼくの書いたものはサカダイなんかで見ていたらしく、知ってたとのことでさらに驚きました。また、高校時代に通っていた塾の先生と血縁関係にあるらしく世の中の狭さを痛感しました。
来年は沖代サッカークラブの25周年の催し物があるとのことで、都合が合えば、ということでお誘いいただきました。
雅也が改めて作ってくれた縁に驚いている次第です。
で、この話にはさらに後日談があって、高橋さんからの封書が届いた数日後、見知らぬ携帯番号から着信がありました。で出てみると、自称「石かっちゃん」という男性からの電話でした。そう言えば小学校の頃に浅黒くてサッカーのうまい石田くんというのがクラブに入ってきたことを思い出しました。その石田くんが、ビーチサッカーの日本代表について取材してほしい人が福岡にいると電話をかけてくれました。
あまりに近い時期に狭い世界の話がつながるので少々驚きを隠せない今日この頃だったりします。
まあいずれにしても雅也には感謝ですね。
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ニュースコラム
追いつかないんでまとめて
by ETOH Takashi 2005.5.29
4月23日
J2s8 甲府vs京都
シーズン前の予想では、この両者が無敗同士で直接対決。首位攻防の大事な一戦になると思っていました。
実際は、京都の快進撃は当たったんですが甲府が思ったほどには開幕ダッシュできず試合結果も一方的なものとなりました。
写真は、試合後に関係者入り口で待っていたサポーターと話し合う海野社長です。非常にフレンドリーに気さくに話していて、フロントとサポーターとの距離の近さを感じました。
ちなみに試合後に社長さんにスシをごちそうになりました。ごちそうさまでした。
4月24日
J1s7 鹿島vs磐田
高速バスに揺られて鹿島神宮駅まで。よくカシマスタジアムには行ってるんですが、鹿島神宮には一度も行ったことがありません。伝説の岩とか見てみたいんですが、なかなか時間が取れないですね。
神社といえば、宮崎で参拝した神社がいくつかあったんですが紹介し切れてないのが残念なところ。そのうちやれれば。
試合は深井選手のシュートへの意識の高さが全てでした。カレン、前田の両選手には奮起してもらいたいところです。
4月28日
J1s8 大宮vs大分
非常に懐かしい場所での思い出深い試合となりました。
振り返ると、2001年の終盤にここで大宮に負けて絶望したこともありました。その歴史の上に、2002年の大分の昇格の喜びがあるわけです。積み重なった歴史の中の、重たい意味を持つ試合でした。
4月30日
J2s9 横浜FCvs甲府
甲府してやったりの試合でしたね。シーズン前に横浜FCの足達監督が「しばらく様子を見てて欲しい」と口にしてましたが、その言葉通りにチーム作りに時間がかかっているようです。
一方、甲府はようやく先発メンバーが固まって来つつある感じです。ボランチコンビや両サイドハーフなど「やっぱそうだよなぁ」というメンバーが定着してきているのはいい傾向じゃないかと思いますね。
5月1日
J1s9 柏vs磐田
先日の鹿島戦が嘘のような前田の積極性が光りました。ちなみにこの試合で中山が150ゴールを達成。華やかな雰囲気の一方で、藤田の去就がクローズアップされてました。
5月4日
J1s10 FC東京vs鹿島
ケガ人続出の鹿島を救った興梠がこの試合の全てだったような気がします。ちなみに4万人が入ったビッグマッチだったんですが、意外と試合の印象が薄いような気がします。
ちなみに裏で行われていた仙台スタジアムでのみちのくダービーに自費で行く予定だったんですが、来年以降に持ち越しですね。
5月7日
J2s11 横浜FCvs京都
ここまで勝利はしてきていても盤石の試合内容ではない京都でしたが、結果だけ見れば横浜FCの悪さの方が目立った感じですかね。
京都の勝負強さは本物でしょう。ペースは落ちるかもしれませんが、コンスタントに勝ち点をのばしていく気がします。
試合後に大分へ。加藤雅也にまつわる話があったんですが、それは別立てで後ほど。
5月8日
J1s11 大分vs川崎
なじみの深い両チームの対戦ということで、自費で取材に。J'sGOALでの執筆はないんですがエルゴラッソさんから仕事を頂きましてやらせて頂きました。ありがとうございました。
大分のボランティアの統括責任者のMさんに乗せてもらいビッグアイへ。
試合前に大分のゴール裏の並び列に顔を出したが、いつものメンツといつもの話。しばし時間をつぶした後、川崎側のゴール裏の並び列にも顔を出したが、こちらにも知った顔がちらほらと。ゴール裏は福岡からレンタカーを借りて大分入りしたとか話してたなぁ。
試合後に何人かと飲みに。いつものごとく某氏との会話は白熱した議論になったんですが、それを見てたAさんが泣き出したのには参りました。
つーか、いつものことなんです…。ちなみにその後キャバクラへ行ったんですがなんかしらっとしてる女の子ばっかでつまんなかったです。
5月14日
J1s12 川崎vs清水
スミイチというか、開始1分というか。そりゃ落ち込むわなぁ。
でもまあ、川崎での取材はなんか心のオアシスというか、落ちつくという感じがしていいです。知り合いのスタッフが何しろ多いですからね。なんというか、目が死んでいない人たちが多いというかね。
5月15日
J1s12 磐田vs大分
知り合いのNHK大分の記者が人事異動でスポーツ担当から離れるらしい。せっかく仲良くなったのに残念。これでNHK大分さんはこれまでに3人が担当を離れていったことになるのかな。まあ、どの人たちも気さくな方々でいい人ばかりでした。新しい人がどんな人なのか楽しみですなぁ。
この試合でもやっぱり注目は藤田選手でしたね。個人的にはパトリック選手の動向が気になるんですが、現コーチの話によると6月10日までに契約の話をするとか。一部報道ではすでに移籍が決定、のように伝えられてましたがいずれにしてもまだわかんないですね。選手としての能力もそんなにはひどくない(とはいえ、突っ込みすぎたりするきらいはあるが)ですし、何よりも日本にとけ込もうと努力してる人だし、個人的には残留してもらいたいんですけどね。
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ニュースコラム
BB2連戦に行ってきます。
by ETOH Takashi 2005.5.29
非常に大事な最終予選のアウェイ2連戦ですが、今回も取材をさせてもらえることになりました。
バーレーン戦直前のアブダビ合宿から現地に行ってます。現地の模様はJ'sGOALで随時お伝えしていく予定ですのでご期待ください。
ちなみに前回、完全に企画倒れに終わった人体実験ですが、今回はこのウエイトがどこまで減るのか、でやってみようかと。帰ってきたときにどうなっているのか、自分のことなんですが楽しみです。
あー、それにしても書きたいことが山ほどあるのに追いつかないのは、忸怩たるものがありますね。なんとか合間合間で書き足していくようにします。
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ニュースコラム
名古屋、完勝
by ETOH Takashi 2005.5.22
2005/4/17
J1s6 川崎vs名古屋
川崎 0 |
0 前半 1
0 後半 1 |
2 名古屋 |
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中一日で試合が続くとつらい、ということが判明した3試合目。等々力へ川崎対名古屋の取材へ。
久しぶりの等々力ということで、いろんな人に声をかけてもらう。ありがたし。試合内容はさておき、試合後にTさんに誘われてひさしぶりにかっぱに行く。やっぱうまかったです。
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ニュースコラム
横浜、引き分けに持ち込む
by ETOH Takashi 2005.5.22
2005/4/16
J1s6 横浜FMvsG大阪
横浜FM 2 |
1 前半 1
1 後半 1 |
2 G大阪 |
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徳島から飛行機に乗り、羽田に着いたその足で日産スタジアムへ。苦労する横浜FMに対し、好調のG大阪がどう対するのか。裏のFC東京vs浦和に匹敵するかもしれない好カードを見に行く。
いつもは小机駅から歩くのだがたまには違うルートをたどってみよう、と思い新横浜駅から歩いてみる。こけら落としの雪の日韓戦の頃に比べると当然の事ながら周辺の風景が全く違っていていろんな建物が増えていた。再開発されているというか、きれいになったというか。

感心したのは、スタジアム前に献血車が設置されていて普通に献血していたところ。レプリカを来た男性はもちろん、女性も並んでいるのはいい風景だった。助け合いの精神は大事やね。
試合後の事はあまり覚えてないなぁ。
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ニュースコラム
2週連続の徳島
by ETOH Takashi 2005.5.22
2005/4/13
J2s7 徳島vs甲府
徳島 1 |
0 前半 0
1 後半 1 |
1 甲府 |
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羽田からの同じ便に甲府の関係者が乗っていてちょっと笑った。徳島空港から徳島駅前へバスで移動。ホテルにチェックインして試合開始まで時間調整する。
浦和戦で取材を手伝ってもらった某レポーターAさんが徳島に帰っているとのことで、2試合連続で手伝ってもらう。前に東京にいたときは普通の人だったが、2年の徳島生活の間に現地では絶大な人気を誇るレポーターさんになっていてちょっとびっくり。Aさんの知人だというサポーターのTさんご夫妻に駅からスタジアムまで送ってもらい恐縮する。

スタジアムに着くとAさんの知り合いだらけで少々面食らう。GMさんとかともつーかーの関係なのは大したものである。で試合前にかるく食べようと屋台に向かうと、Aさんサポーターに取り囲まれて大変。愛されていたんだなぁ、と。
J2はそういう暖かみがあるのがいいですね。
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ニュースコラム
聖地での引き分け
by ETOH Takashi 2005.5.20
2005/4/13
J1s5 浦和vs清水
浦和 1 |
1 前半 1
0 後半 0 |
1 清水 |
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スタートダッシュに失敗したチーム同士と言うことで、お互いに負けられないこの試合。徳島帰りの某レポーターさんと見に行った。
新宿で待ち合わせて一緒にスタジアムに向かったのだが、歩道が整備されているように見えたバス通りを歩いて失敗。途中から歩道が細くなっていてそれなりに大変だった。
試合は清水がアウェイで意地を見せて引き分けに持ち込んだが、この勝ち点1は大きい。
微妙に桜が残っていて、風流だった。
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ニュースコラム
仙台、勝てず
by ETOH Takashi 2005.5.7
2005/4/10
J2s6 京都vs仙台
京都 1 |
1 前半 0
0 後半 0 |
0 仙台 |
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大阪の友人宅に泊めてもらい朝まで飲みました。ちなみにそんな家主さんは、翌日は朝から入社面接の面接官をやるとのこと。若者の人生がこれで狂ってたら笑えないですね。

京都は渋く勝利。きわどい試合を勝ちきれるのは大したものです。
西京極から四条へと移動しました。
京都市内はちょうど桜の見頃のタイミング。試合当日は雨の予報になっており、前日の京都は空前の人出だったとのこと。そのおかげで、試合当日は混雑が緩和されており、なおかつ桜もちょうどいい状態でした。
きれいなものはいいいですね。
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ニュースコラム
両者痛み分け。
by ETOH Takashi 2005.5.7
2005/4/9
J2s6 徳島vs山形
徳島 1 |
1 前半 1
0 後半 0 |
1 山形 |
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一度は訪れたいと思っていた徳島に取材に行くチャンスが巡ってきたので、行ってきました。対戦相手は山形。共にがんばれるチーム同士ということで非常に楽しみな試合でした。

試合結果はJ'sGOALで確認してもらうとして、この日は試合後に高速バス乗り場へと移動し、大阪へ向かいました。翌日の西京極での京都vs仙台を取材するためです。
徳島駅前を出発した高速バスに高速鳴門というバス停から乗り込んだわけですが、定員に対して乗りたい人間が3人ほどオーバーしてて困りました。
最後は自主的に後発の神戸行きのバスに乗り換えてくれた人がでたので助かりましたが。ちなみにスタジアムからタクシーで行く場合「高速鳴門」と告げれば問題なく連れて行ってくれます。乗り場もわかりやすくなっているので迷うことはないと思います。徳島へ行く場合の選択肢として、伊丹空港を頭に入れとくと運賃が安くなる場合があります。
ちなみに高速鳴門から大阪駅までは3150円です。
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ニュースコラム
キリンカップサッカー2005。
by ETOH Takashi 2005.4.14
JFAハウスで行われたキリンカップサッカー2005 Go for 2006!の開催会見を取材する。この会見で川淵会長が本音封印発言をしたのはすでに各種報道でご存知だと思うが、いずれにしても会長とジーコ監督の強い絆が感じられる会見でした。
ペルー代表とUAE代表を招待する今回のマッチメイクに関しても論理的な説明がされていて納得でした。
代表スケジュール的には、5月22日のペルー戦。5月27日のUAE戦を終えていよいよ最終予選を迎えます。
まずは6月3日にバーレーンのマナマで行われるバーレーン戦。そして8日は北朝鮮で開催予定の北朝鮮戦とアウェイが2試合続きます。この2試合の結果は本当に大事。ドイツに行くためには最低でも勝ち点2以上がほしいところです。
そういう決戦を迎える直前と言うことで、このキリンカップは重要な意味がありますし、壮行試合の意味合いが出てくるでしょう。どんな雰囲気になるのか非常に楽しみです。
全然話は変わりますが、最終予選のスケジュールって本当に日本にはつらい。本大会の抽選会は12月9日。で、北中米との大陸間プレーオフが11月12日と16日。さらにアジア代表決定プレーオフが9月3日と7日。そうやって考えると、最終予選のスケジュールはもうすこし楽にできそうなもんですけどね。
例えば同じアウェイ2連戦でもバーレーンみたいに北朝鮮→日本という移動は非常に楽ですしね。イランの場合は6月3日にホームでの北朝鮮戦→8日に同じくホームでバーレーン戦。ちなみに北朝鮮は3月25日にホームでバーレーン戦。30日にもホームでイラン戦。日本だけです。2試合ずつ行われる3月と6月の4試合で東アジアと中東を飛び回ってるのは。
ちなみにW杯主催者のFIFAや開催国のドイツ的には日本ウエルカムでしょう。経済的なインパクトが違いますからね。
ま、そういう国際政治の混沌の中でどんな予選になるでしょうかね。ドイツ行きのチケットさえ手にしてくれれば何も言うことはないんですけどね。
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ニュースコラム
心臓に注意。
by ETOH Takashi 2005.4.13
2005/4/3
東京V対千葉
東京V 2 |
2 前半 2
0 後半 0 |
2 千葉 |
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千葉が2点を先行、東京Vが追いつくというめまぐるしい前半に比べると、両者無得点の後半は地味目に感じるかもしれませんが、両監督が試合後に述べたように後半もスリリングでした。
試合で楽しんで監督会見でも楽しめたという試合でした。ちなみにJ1の場合、J-Sportsで会見を放送しているんでオシムとアルディレスの会見はチェックするとおもしろいと思います。
試合後にレポーターの高木聖佳さんと調布駅前に食事をしに行きました。
なんかひなびた大衆食堂だったんですが、味付けもいいしご飯は大盛りだし最初から豚汁が出てくるしなかなかお得なお店でした。
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ニュースコラム
柿本、覚醒?!
by ETOH Takashi 2005.4.13
2005/4/2
湘南対甲府
湘南 1 |
0 前半 0
1 後半 0 |
0 甲府 |
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シーズン前の準備状況の良さもあって高評価していた両チームだが、湘南はFWが予想外の活躍を見せて好調を維持。中盤がいいだけにこれからもコンスタントに成績を伸ばしていく可能性が高い。
この日の決勝ゴールを決めた柿本の得点シーンなんかすごかったもんね。
一方の甲府は、予想よりもFWが活躍できていない印象。シーズン前の仕上がりも早く試合を見るのが楽しみだったんだけど、実際見てみるとそうでもないなぁ、という感じ。これは言い過ぎと感じる人もいるかもしれないけれど、ちょっと期待はずれの序盤となってます。まあ、それだけ期待していたということでご理解頂ければと思います。
最小得点差でしたが、試合自体はおもしろかったです。
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ニュースコラム
薄氷を踏む思い
by ETOH Takashi 2005.4.8
浦和美園駅を降りて驚いた。
日の丸グッズショップを見かけたのはこれが初めて。もしかしたら昔からあったのかもしれないが、それにしても驚いた。
この試合について、とある人と食事をしているときに話になったのだが、アメリカ大会予選の時の国立の雰囲気は今と違って異質な空間だったなぁ、という話になった。おそらくそれは間違いのない事実だと思う。当時はまだまだ代表の価値が世間一般にまでは染み渡っていなくて、なおかつチケットの販売に関する情報は今ほどオープンじゃなかった気がする。
広く代表の試合を楽しんでもらうということに意味はあるんだろうけど、それがスタジアムのあるべき空気とマッチしていないのは残念。とはいえ100年の歴史があるヨーロッパとの比較は無意味か。
日本にはまだまだ歴史が必要だということだろう。
2005/3/30
日本対バーレーン
日本 1 |
0 前半 0
1 後半 0 |
0 バーレーン |
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それにしても、薄氷を踏む思いの試合だった。結果的に決勝点は自殺点だったんだけど、それは日本のプレッシャーが相手選手を慌てさせた訳で全く問題はない。ただ、それにしてもジーコ監督の勝負強さに驚くばかりだ。そうやって彼はここまで勝ち抜いてきたし、これからもそうなっていくんだろうと思う。
後はスタジアムの雰囲気かぁ。なんとかいい方向に進むといいんだけど。
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ニュースコラム
W杯最終予選・ペルシャの国取材記・最終回
by ETOH Takashi 2005.4.6
2005年3月27日(日)
朝、まだ暗い時間に目が覚めた。部屋からみるアルボウズ山脈の眺めも今日が最後だ。
7時前にロビーに降りてチェックアウトの手続きを取り、荷物を預ける算段を終えてビジネスセンターにこもった。一仕事して待ってたのだが一家もUさんも一向に現れる雰囲気がない。ということで内線でUさんに聞いたら予定が変わって11時頃にならないと来られないと連絡があったという。残念、カスピ海は見られないことに決定だ。本当に残念。カスピ海はまた機会があったときに持ち越しである。
で、フロントに事情を説明し午前中は居てもいいよ、という話をつけて再度部屋へ。何気なくTVを見てたらエクササイズプログラムをやってた。
J-Sportsなんかで見かけるアメリカの番組は、レオタードのお姉さん方が笑顔でエクササイズしているわけだが、さすがにイスラム教の国。エクササイズしているのはある意味で健康そうな中年男性でした。なんか、ユッサユッサしてて、すごかったです。イスラム教の国、という観点で言うと、部屋の天井にはこんな矢印があります。物の本によると、メッカの方角を指しているとのことです。
そんなこんなで11時になったんですがホテルに現れない。どうしたもんかと思ってたんですが、とりあえず聞いていた携帯番号に電話して聞くことに。滞在期間中に仲良くなっていたビジネスセンターの担当者に「電話したいんだけど」と伝えると話をしてくれた。10分ばかり遅れる、という話だったのだが結局30分くらい遅れてホテルに来たような記憶がある。話を聞くと、どうやら姉のnooshinが体調を崩したらしく、その看病をしてたらしい。実際、nooshinの姿はなかった。ちょっとかわいそうだが、車内のことを考えるとベストである。
仲良くなってたホテルのスタッフなんかと別れの挨拶をしつつ警備担当者が持っていた数珠みたいなものを見せてもらったら「やる」と言い始めた。さすがにそれは、と思ったが結局押し切られてもらってしまった。
使い方を聞いたら、数珠とは違ってアラーの名前をつぶやきながらひとつずつの珠を指で数えるような仕草をしていた。一般的な数珠の使い方とは違っているが、禅の修行に同じように数珠の珠を数える行をしているところをTVで見たことがあった。イランと極東はシルクロードでつながっていることもあるし、もしかしたら根っこのところではつながっているのかもしれない。
そんなこんなでホテルに預けた荷物を全部引きとってテヘラン市内へ出て行く。時間が限られているので、効率よく回らないとダメ。ということでまずは山を目指した。
途中で日本のお寺の壁にそっくりな外見の壁を見かける。国王の宮殿だという。大統領制(ハタミ)で、その上に宗教指導者(ハメネイ)が存在するイランにおいて国王というのが誰のことなのかはわからないが、とりあえずそういう身分の人間の宮殿らしい。かなりでかかった。
そうこうしているうちに、なんか登山口にやってくる。この山は自分たちの足で登らないとダメらしい。ということで、登るのはダエイショップを見てからにしようと話がまとまってすぐに立ち去ることに。
で見ず知らずの人なんかに聞きながらダエイショップを目指す。なんか郊外のショッピングビルの中にその店はあったのだが、靴だけを取り扱うショップと、ユニフォームも取り扱うショップなんかがあった。
で、ユニフォームショップの方に入ると、ダエイの兄弟というのが普通に店にいた。なんか写真も撮られ慣れているようで堂々としたものである。
で、ユニフォームを見せてもらったのだが、アリ・ダエイモデルの他にカリミ、マハダビキアのものがあるという。1枚17ドルだというので思わず3枚とも買ってしまった。ただ、材質はものすごく安っぽい。タイあたりで1枚100円くらいで売られてそうな感じだ。安っぽいかわりにパンツが付いていた。パンツをつける分の経費をユニフォームの材質向上に当ててほしいところである。
とりあえず自分的にはビッグイベントのひとつが終了。いよいよメインディッシュのケーブルカーである。この山はトーチャルという名前だったと記憶しているのだが、駐車場からさらにしばらく歩いてケーブルカーの乗り口を目指す。ところがここの距離がバカみたいに長く、歩いていくのに難儀した。おまけにお母さんがヒールっぽい靴を履いていて歩くのがつらそうだったし時間のこともあったのでシャトルバスを捕まえて乗り込んだ。同じように歩きを途中で諦めて、バスに乗り込む人が多かった。
バスを降りたところにちょっとした露店がいくつか開いていて、遊ぶ施設も用意されていた。ゴムの力で高く浮き上がる遊技をしてた男の子が激しく泣いててそれを見てたまわりの人が笑ってた。
ケーブルカーのチケットを買って乗り場へ。ケーブルカーと言うよりはスキー場のゴンドラである。実際、スキー板を持って降りてくる現地の人が多かった。ちなみに現地ではテレキャビンと呼ばれているらしい。
テレキャビンはどんどん高度を上げていく。陽気のせいもあるのだろうがテヘラン市内はかすんで見えた。
登ろうと思うとステーション5まであるらしいのだが、お父さんが気を利かせて最初のステーション2までのキップしか買ってなかったらしい。何とも残念。テヘランになんかそうそう来れないし、来ても市内を見て回る時間なんてなかなかない。それだけに、頂上まで行けなくて残念だった。いつか、腰を据えてじっくりと観光で来たいものである。
テヘラン市内を山腹から見下ろしたのだがなんだか灰色の世界で、いろんなものがかすんで見えた。かろうじてラジオタワーを見つけたが抜けるような青空の中に夕日を浴びて屹立するあの姿も、闇夜に浮かび上がるネオンの姿もここからは連想できない。
みんなで何枚か写真を撮って下山することに。ケーブルカーで駐車場に降りてきたところでnooshinからお父さんの携帯電話に電話があった。話し声を聞く限りでは元気そう。朝だけ体調を崩してしまったみたいで、ある意味安心した。次に会えるのはいつのことだろうか。
午後4時を過ぎていたと思うが、昼食がまだだったので食事をすることに。お父さんがアザディタワーの近辺で探してくれたのだがなかなか見つからない。そんな車中でnegarと話し込む。2ヶ月後に大学入試が控えており、それがプレッシャーになっているという。イランでは入試に失敗すると自殺するくらいに落ち込む生徒も居るらしいが、それだけ大学での学位が社会的地位に大きく関係しているのだろう。そんな話をしてると、世界的にも有名だというなんとか大学のそばを通り過ぎる。大学入試に関しては性別による差はないらしくそこを目指せとけしかけたら無理だと言われた。ちなみにそんなnegarが目指しているのは機械工学科や化学科といった理系の大学らしい。化学が好きらしい。
ちなみにお姉ちゃんのnooshinは経営学を勉強しているといってた。
そんなこんなでさんざん探し回ってようやくレストランへ。
Uさんにつきあって、ノンアルコールビールをもらう。写真を見てもらえばわかるが、こちらではジュース感覚で飲まれているようである。実際のところ微妙に甘いのでその感覚もわからないではない。
ちなみに注文したのはラムのキャバーブである。肉が軟らかくてにおいもなくおいしく頂きました。
お腹が一杯になったところで空港に、と思ったらもう一カ所寄り道するという。お父さんサービス精神満載であるが、ぼくは飛行機に間に合うのか冷や冷やもので、空港方面の高速道路が大渋滞を起こしているのを見て覚悟を決めた。ただ、さすがにジモティである。ちょっと走って裏道に出るとすいすい走って空港にたどり着いた。パパすごい。
空港でお土産の駄菓子を買おうとターミナルの外に出ると、若いアジア系の顔をしたイラン人がぼくの顔を見て「ジャポン」とかなんとか言ってきた。「悪いけど勝たしてもらったよ」くらいのことを話してるんだろうと思い笑って答えたらnegarが「そこは笑うところじゃない」って怖い顔をした。彼女に聞いても何を言ったのかは教えてくれなかった。適当に駄菓子を買うとまだそいつがそこにいたんで軽く視線を合わせてにらんだ。すぐに視線を離したからその後のヤツの表情はわからなかったのだが、なんか意外そうな顔をしていたような記憶がある。
人間にはいいヤツと悪いヤツしかない。
チェックインカウンターは、出発ゲートの向こう側にあるらしくここでご一家とはお別れとなった。本当に偶然の出会いだったがおかげさまで充実したテヘランを過ごせた。感謝の思いを込めて別れの挨拶をした。
ペルシャ語でどうもありがとうは「ヘイリー、マムヌーン」という。で新しく仕入れた言葉がさようならを表す「ホダー、ハーヘイズ」である。これを連発してさよならをした。出国ゲートを超えてもまだ手を振ってくれた。
飛行機に乗り込むとすぐにボリューム満点の機内食が出てきた。イラン航空の機内食は量が多くて有名らしい。
窓の下に広がる幻想的な雪山の光景や闇夜に浮かぶ都市のネオンを楽しみながら明けた翌朝もきっちりと機内食が出た。イラン航空は最後まで抜かりがなかった。
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たまたま前の席に座ってたのが、日本代表を花束で出迎えた女子大生二人組だった。行きも同じ飛行機だった彼女らの事は心配だったので無事に飛行機に乗っていて安心した。降り際に話をしたが、テヘランの町では親切にされ、スタジアムでも怖い思いはしなかったという。ただ、そんな立ち話をしていると、後ろにいた男性が経験した事を離してくれた。
二階席から投げ込まれたペットボトルが頭に当たり、1秒くらいしてふらっと倒れ込んだ人の話や、そんな状況下で「もう見てられない」と泣きじゃくる女性の話なんかをしてくれた。日本代表の事を世界中追いかけるサポーターの存在はありがたい限りだが、世界を転戦するという行為があまりに当たり前になりすぎて危険と隣り合わせだということがまだ十分に知れ渡っていない部分があるのだろう。アウェイの危険性が周知されるにはもうしばらく時間がかかるかもしれない。
成田空港に着くと知り合いのTさんが出迎えてくれた。負けて帰ってきたのにありがたい話である。おまけに昼食までごちそうしてもらった。
全然まだまだイランの食事でも行けるのだが、あえて日本食を食べてみた。たぶん無意識に日常生活への復帰を意図していたのだろう(嘘)。
すぐ2日後にはバーレーン戦の笛が吹かれる。
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ニュースコラム
W杯最終予選・ペルシャの国取材記・6
by ETOH Takashi 2005.4.5
2005年3月26日(土)
試合後、深夜までかかって原稿を仕上げたこともあって、この日の午前中はずっと寝てた。さすがに疲れたみたいだ。
何時だったか、12時とか13時だった気がするが先日アザディスタジアムから乗せてくれたご一家とホテルで待ち合わせていた。ところが1時間遅れるという連絡が入ったので改めて1時間後にロビーに出直すとパパと妹さんがそこにいた。ちょっとしか経ってないが、なんか懐かしい。Uさんも合流して駐車場に行くとお母さんとお姉さんも居た。今日も6人での移動だ。
で、今日はまずはお姉さんのnooshinが運転するとのことで、女性陣は前に乗る。ということで、ぼくら男子3名は後部座席で楽をした。危なっかしい運転で駐車場を出て高速に入ったが、ピクニックをしよう、ということらしい。その時点では行く先はわからなかったがテヘランの隣にあるカラジという町に向かうらしい。
イラン特有の混沌とした高速を走行しつつ時折妹がお母さんのヒザの上に伏せる。警察対策らしい。
そんなこんなで高速を1時間ばかり走行。原発みたいな発電所を横目で見つつ、カラジの町に入って山道を上りはじめた。意外とKIAは走る。
アルボウズ山脈の山肌に刻まれた断層とかを眺めつつ、しばらく渓谷を走り一軒のレストランに立ち寄った。山脈から流れてくるカラジ川の川沿いにあるこじんまりとしたレストランである。基本的に野外に席が設けられているのだが、一部ビニールハウスみたいにして暖かくしてお茶できる席もあった。ただ、せっかくの景観なので、頼んで野外の席に座ることに。
日本的な感覚で言うと座敷みたいなセッティングがされてあって、そこに絨毯が敷いてあってみんなが靴を脱いで座る、というスタイルだった。そういう部分では日本に近いモノがある。ここではお茶で一服させてもらった。
ちなみにイランではお茶のことはチャイと呼ばれており、角砂糖を口に含んでおいて飲むのが正式な味わい方らしい。ここでは角砂糖の他にお茶菓子と干し柿みたいな果物の干したヤツが出てきた。これはなんだろう?
お父さんとUさんは水たばこを楽しんでたがぼくはたばこを吸えないので軽く吸い込んで軽くむせて見せて遠慮した。なんか甘い味がした。女性陣にはたばこは不評で、お父さんも家では吸わせてもらえないらしい。なのでたばこを吸わないというと女性陣は喜んでた。なんかそこら辺は日本っぽい
ここで2年くらい前にアザディスタジアムの敷地内で行われたカヌー競技に参加した日本女子代表選手との記念写真を見せてもらった。簡単にググって見たんだが、結局引っかからなかった。この競技会についてどなたかわかるかたおられませんかね。マカオとかからも選手団が来てたみたいです。
ちなみに写真の中で全身真っ黒な服を着て写ってるのが妹のnegarである。
しばらくお茶して出ようとした駐車場で、初めて碧山超音波のステッカーを発見。こちらのブログのこちらのエントリーで初めて見たときは、ホンマかいな、と思っていたのだがホントだった。ちなみにその後もこのステッカーは何度か目撃しました。バイクにも貼ってたりしてました。
そんなこんなでここから運転はお父さんに交代。さすがに山岳地帯の運転はお父さんじゃなきゃダメっぽい。そのまましばし山道を上って行って食事のためにレストランへ。
手を洗おう、とトイレに連れて行かれたんですが、大渋滞中で結局なにもせずに席に。後で調べるとアラブの方では食事前に手を洗う習慣があるらしい(やわらかなアラブ学:田中四郎著:新潮選書)。そもそもイラン人は、歴史上の問題や宗教上の理由でアラブと混同されると怒るんですが、手荒いの習慣は根付いているのかもしれません。まあ、とかなんとか言いつつ日本でも食事前には手を洗うので、細菌にやられないようにするための人類に普遍的な習慣なのかもしれないけど。
手を洗いに行く途中にナンを作る職人さんが居た。まずピザを作るみたいにして生地をのばして丸く広げる。この生地に穴を開けて下準備を整える。
続いて座布団みたいなクッション状の上にナンを乗せてカマの内側に貼り付ける。
後は焼き上がるのを待つだけである。まさに職人芸でした。ちなみに出てきたナンは、焼きたての時はうまそうなんですが、時間がたつと冷えてイマイチになるんですけどね。
テーブルに着くとイランガイドブックの料理のページを開き、どれがうまい?と尋ねた。いくつか候補が挙がったが、最終的にラムとチキンのキャバーブに落ちつく。というか連日こればっかやわ。
注文したサラダには、ヨーグルトベースのドレッシングをかけ、サフランライスはバターと混ぜて準備します。
ちなみに写真に写っている飲み物は甘くないヨーグルトドリンク。Uさんだけはノンアルコールビールを頼んでました。
非常においしゅうございました。
カスピ海を見たい、と言ったら「行こう」という話になったんですが聞けば片道4時間くらいかかるらしいので断念。まあそりゃそうだ。趣のある道をひた走ります。なんか乾燥したような風景なんですが、日本の山との大きな違いは、山肌に木がほとんど生えていない、ということでしょうか。そもそもテヘランは1000m前後の標高があるんですが、ここはさらに高くなっていておそらくは2000m前後はあると思われます。その標高と乾燥した空気が、荒涼とした風景を作り出しているようです。途中で何カ所か景観のいいポイントで車を止めてくれたんですが、これは激しく雪が残るアルボウズ山脈です。
なんか、イラン戦の前に「灼熱のテヘランでの試合」みたいな描写を読んだ記憶があるんですが、実際のところ3月のテヘランは日本とほとんど変わらない気候でした。
さらに休憩所から眺めた渓谷。真ん中に見えるのがカラジ川。ここにあるレストランでザムザムコーラの空き瓶を見つけるが、実物は売ってなかった。買ってこいと厳命されていただけに参った。
この休憩所でお父さんは、警察と交渉。助手席に2人の男が乗ることを許してもらったみたいなことを話してた。それまでは警察の姿を見かけると「オー、ポリース」と言ってたのにその後からは「フレーンド」と言い始めた。ホント、おもしろい国である。
道ばたに止まってたミニバン。ベンツのエンブレムが付いてるけど本物なのかな? 見たらわかると思うが、こちらではナンバープレートはペルシャ数字とペルシャ語のアルファベットで表されている。日本で言えば、漢数字になっていると思えばわかりやすい。
さらに車は登っていったのだが、お父さんの当初の目標地点であるらしいカラジダムに到着。雨が少ないのか、ダム湖の水位は低めだ。物の本によると、このダムができたことで生活用水や電気が供給されるようになり、カラジが発展したとのこと。カラジは結構な工業都市なのだそうだ。
カラジダムを超えてさらにしばらく登ってきりのいいところで引き返す。途中、滝のあるところで車を止めて見物。左上に見える看板には、ペルシャ語で「ここをきれいにするといい日になりますよ」と書かれているのだそうだ。
たぶん17時とか18時くらいになったと思うのだが、まだ空はかろうじて明るい。イランは夏時間を採用していて1時間ほど時間が前倒しになっているからだ。
カラジの町に帰り着くと、そこで一軒のマンションに連れて行かれた。お母さんの弟さんの家だという。イラン人の民家に上がる経験ってなかなかないと思うので、これはうれしかった。
まず玄関を入ったすぐのところで靴を脱ぐ。日本チックだが、日本のように靴を脱ぐための土間みたいなスペースはなくて、床の上にマットが敷かれているだけである。乾燥しているので土間が必要ないのかもしれない。
ソファーでくつろいでいると次々と甘いモノが出てくる。チョコレート始まって砂糖を丸くまぶしたお菓子。そして極めつけに甘かったのが、お父さんが正座して食べているこのお菓子。綿菓子のように細かい繊維状のものなのだが、綿菓子ほどには繊細ではなく、とにかく甘いモノだった。そのほかにも果物やらナッツなんかが出てきたが、とにかく甘いモノが印象に残った。振り返ると飛行機の中でも甘いモノが出てきた。そういう事を思い出すと、イランという国ではお客さんを甘いモノでもてなす習慣があるのだろう。一種の贅沢品としての地位があるのかもしれない。
いろいろともてなしてくれたのだが、そこん家の娘さんが人見知りもせずかわいかった。6歳にして英語を喋り民族的なアラビアンダンスみたいなのを踊れたのには驚いた。
ちなみに外にいるときはスカーフを頭に巻かないと警察に逮捕されてしまう女性陣も、室内に入るとスカーフは外して大丈夫なんだそうです。
そんなこんなでしばらく歓談してお暇しました。とりあえず、ないといわれていた今日の新聞を探しに連れて行ってくれたんですが、アザディタワーの近くにあるバスターミナルにいくつかのキヨスクがあったんですが、そこで90という名前のスポーツ新聞が売られていたのを入手できたのですが勘違いしてて、試合当日のプレビュー記事が掲載されてあるものでした。結局ホテルの近所にあるキヨスクで、最後の一枚だってのを手に入れました。ハシェミアンが表紙でした。
車のところまではタイミングを見計らって車道を横断するのですが走り去る車の赤いテールランプがきれいでした。
日付が変わろうか、というタイミングでホテルに送ってもらったんですが、翌日の帰国便は夜ということもあって、引き続き明日もつきあってくれることになりました。当初は朝5時に集合して片道4時間をかけてカスピ海(1276x1612:3.7MB)を見に行く事になっていたんですが、日本との通信などの問題があって集合は朝7時に。片道3時間ほどいったところに山の上からカスピ海が見える場所があるというのでそこに行くということで話がまとまりました。
前日に引き続き、密度の濃い一日が終わりました。
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ニュースコラム
バーレーン戦でのサポーターのこと
by ETOH Takashi 2005.4.1
自分の書いたイラン戦のレポートを改めて読んだのだが、終盤の方にサポーターの反応について言及した部分がある。
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試合時間の表示が45分(ロスタイムに入った事を意味する)を過ぎたところからスタジアム内には強烈なブーイングが充満した。日本のボールの時にはレフリーに笛を促すブーイング。そしてイランがキープすればぴたりと止むというメリハリの利いた声援を送った。ブーイングの中で日本代表は闇雲に蹴りまくるような事はしなかったが、それでも最後の壁はどうしても突き崩せなかった。審判が試合終了のホイッスルを吹き鳴らし、試合は終わりの時を告げた。
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サッカーファンかくあるべし、という反応で、本当に見事だった。アレをやられたら精神的に強い審判も早めに笛を吹きたくなる。この日スタジアムに駆けつけたイラン人は、無料開放されたから来たのではなく、本当にサッカーが好きだから来ていた。だからあれだけメリハリのついた反応ができたのだと思う。
一転して先日のバーレーン戦である。試合前の決起集会で高齢の金髪の男性サポーターが、こんな事を述べていた。
全くその通りで、スタジアムに来られなかったサポーターの気持ちも込めて声援を送ってほしいと感じた。それだけに、試合終盤に起きたある反応が気になって、それをバーレーン戦のレポートに入れて入稿した。しかし残念ながら、レポートが長すぎるという理由でその部分はカットされてしまった。
コアなサポーターからの批判を覚悟して書いたので、実はカットされてホッとした部分もあるのだが、ただ、イラン戦のレポートを改めて読み直し、イラン人サポーターの反応に感心した自分が居たことや、それについて言及していることを思い出して(実はこのレポートが仕上がったのが現地時間の午前6時頃で、内容についてほとんど覚えていなかった)やはり表に出そうと決意した。
J'sGOALとぼくのHPとでは世間に波及するインパクトのレベルが全く違うが、それでもサポートというモノに対する客観的な反応を表に出すことに意義はあると思う。
ということで以下にカットされた部分を掲載する。
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ひとつだけ気になることがあった。後半の82分の場面の事だ。
日本が得たCKの直後、バーレーンのセンターバック、サイド・モハメドが自陣のゴール前に倒れ込んでいた。この時間帯、バーレーンは日本に対する攻勢を強めており、時間の経過が遅く感じられていたタイミングだった。そうした場面で、一部ではあるが日本のゴール裏からブーイングが出ていた。おそらく彼らは「はやく起きろ」と怒りをぶつけたのだろう。しかし日本が勝っている局面で、相手が寝てくれて時間を使ってくれるのである。これほどラッキーな場面はない。「どうぞ寝ていてください」という場面だった。
サポーターが何日も前から列を作り、私生活を日本代表に注ぎ込んでいる事は理解している。しかしそこまでして、何をやろうとしているのか、を考えてもらえれば幸いである。自らが「サポーター」であることを自覚し、今現在ピッチ上で起きているのがどういう状況なのかを判断して応援して頂ければと思う。岡田武史監督ではないが「ハートは熱く頭はクールに」の精神をお願いしたい。
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日本代表はアジアチャンピオンである。だからこそサポートでもアジアのチャンピオンを目指しましょう。ぜひともぼくに鳥肌モノの応援を見せてください。
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ニュースコラム
W杯最終予選・ペルシャの国取材記・5
by ETOH Takashi 2005.3.26
2005年3月25日(金)
今日もアルボウズ山脈はきれいだ。
午前中にいくつかの仕事をこなす。試合開始時間は18時過ぎだが、14時にはホテルを出ようとUさんと打ち合わせていた。
タクシーカウンターにはいつもの顔が並んでいるのでホテルの外へ。ケンカ別れした直後には、ホテルの敷地内に流しのタクシーが居たんだけど、2回くらい乗ってたら居なくなった。まあ、連中に追い出されたんだろうなぁ。
ホテルの外に出ようとすると、イラン代表が乗るバスが止まっている。写真ではわかりにくいが向う側では窓を拭いているところだった。この後、このバスも大一番が待っている。
表でタクシーを拾ったが、交渉の末30,000Rlsで決着(したような記憶が)。ここ数日、アザディスタジアムまで行くのに高速を使えないドライバーも居たんだが、このドライバーはちゃんと全線高速で目的地へ走っていった。やるじゃん。
ところがいよいよアザディスタジアムへ、という高速の降り口で問題発生。警察車両が道路を封鎖。全く車を通していなかった。これには参った。
ドライバーが「パスを出せ」と話してるんで、例の悪人面のパスを見せたんだが無反応。というか「ここはダメだ」という反応である。他に出口があるのかわからないのだが、とりあえず何を喋ってもムダそうだった。
ドライバーもそのつもりなのか車を動かしはじめたがすぐに止めて「ここから歩いていけ」と高速上で降りろと言う。まあ、この先のインターに行ったところで入れる保証はないし、と思い歩くことにした。見ると同じように高速で車を降りて歩く人間がたくさん居る。彼らの向かう方向に付いていくことにした。
上の高速にはどこから紛れたのかたまに車が通る程度。そのかわりに多くの男性が歩いてアザディスタジアムを目指して歩いていた。よくもまあこんなところを迷わずに歩いて行けるものだ、と感心するくらいにみんな普通に歩いてた。
ほとんどのイラン人はフレンドリーだったのだが、時折好戦的な目でこちらをにらみつける人間もいる。子どものくせに、こぶし大の石を握ってぼくの目の前に突き出すヤツも居た。原野の中を歩く敵国日本のジャーナリスト。それも高価そうなカメラを持っている。格好の餌食じゃないか、と思った。
ただ、なぜその時無事でいられたのかというと、たまたま上の高速で警察官に話しかけられて一緒に歩いていたからだ。最初、その制服を見て警備中の軍隊かと思ったのだが違っていた。良かったのは、彼らの中の一人が英語がしゃべれた事。おかげで会話しながら一緒に歩いていたのである。それがイラン人サポーターからの暴力を防いだ可能性は高い。
ちなみにそんな彼らは勤務中の警官でした。
スタジアムの敷地にたどり着くと警備中の軍人からしげしげとパスを見られ、そしてあっちへ行け、とイラン人サポーターと逆の方角を指さされた。ここでくだんの警官とはお別れである。
しばらく歩くとさらに厳重に軍人にガードされた門がある。それを超えると、公式練習時に通ったゲートの前に知り合いの日本人記者が居た。見るとパスを持っていない。聞くと、当日のパスの発行を諦めてスタジアムに来たとのことで、スタジアム内のJFA広報担当者と連絡を取り合い中に入ろうとしているところだった。
しばらく話をしていたのだが、聞くとその中の一人のTさんは、北朝鮮でのバーレーン戦を取材するためにAFCに仲介をしてもらって北朝鮮協会から許可をもらい、北京まで行ったのに北朝鮮領事館でビザの発給を受けらなかったという。それで急遽イラン入りしたとのこと。本当にアジアは何が起きるかわからない。
そんなこんなでうだうだしていると、Tさん達と交渉をしていたイラン人がスタジアム内に入れられると言い出して、警察車両で移動するという。ぼくらもゲートが違っているといわれ移動中だったのでそれに便乗して送ってもらうことにした。
用意された車は4人乗り。運転手とそのイラン人。そして知り合いのライターさん二人が座席に乗ると、ぼくとUさんには荷台しか残されていなかったが、まあそれはそれとしておもしろい経験で、アザディスポーツコンプレックスの敷地内を、荷台に乗って移動するのはなかなか快適だった。
無料招待の効果もあって、スタジアムはすでに満員にふくれ上がっていた。ただ、あきらめの悪い人たちが門の前で大挙して入れてくれ、と警備担当者と揉めている。そんなスタジアムの正面ゲートを車でくぐった。いろんな意味でVIP気分である。
そんなこんなでスタジアム正面でTさんたちが降ろされる。ぼくらも降りようとすると「ここじゃない」と言って連れて行かれたのが日本人サポーター席だった。ゲート周辺には二階席から閉め出されたイラン人が大挙してゲートの隙を窺っていて、二階席には到着する日本人サポーターを乗せたバスを見下ろすイラン人が並んでた。
スタンドの方まで歩いていって、いろいろ考えたんだけれども、どうやら完全に勘違いされている事を悟って途方に暮れた。
いやいや、普通に違うんスけど。
ということで、改めてゲートに戻ると、二階席からバスに向かって小石が投げつけられていた。恐ろしかー。
少々不安になりながら、ゲートからスタジアム外に出て正面入り口に戻っていった。ふと見ると、まだゲートに入り切れていない日本人サポーターのバスがたくさん待機していて、すごいことだなぁ、と改めて思った。
スタジアム内に入るにはもう二つゲートがあったのだが、公式練習時の混乱とは違い、パスを見せるとすんなりと中に入れてくれた。一安心である。まず最初に向かったのがガラス張りの机付きの記者席である。なんか雑然としてたのだが、そこに写真の男の子たちがいた。写真を撮らせてくれ、というと最初は恥ずかしがっていたのがなかなかかわいかった。
言葉が通じず簡単なジェスチャーのみのコミュニケーションだったが、大型モニターに日の丸が映し出されると、それを指さして教えてくれたりしてなんかいい感じだった。右の子はきちっとしたスーツを着込んでいてちょっとだけ大人びていたが、それでも雑然とした大人の空間の中に放り出されて困惑していた部分もあったんじゃないかと思う。
雑然とした空間を楽しんでいると、隣に席なしの記者席が用意されているという情報が入ってきた。結構見やすいらしく、それならばそこに移動しよう、ということで移動することにした。パスを持っていなかったTさんなんかもすでに入っていて、結局当日イラン入りした日本人記者は全員入れたようである。JFA広報のNさんGJである。
ぼくたちが座っていた記者席は一番高い席を臨時で区切ったらしく、スタジアムの真正面から見ることができるまさに特等席だった。ところが、スタンドを臨時で区切ったものだからオーバーブッキングになってしまった「正規のチケットを持つ人たち」がゲートのところで警察官に閉め出されていた。その真隣で放送していた某N放送の人たちに試合後に聞くと、一人がゲートを突破したのをきっかけに雪崩になってスタンドに入っていったら、警官がボコボコに殴ってた、みたいなことを聞いた。イラン、恐るべしである。
時間をもてあましてたので、記者席の前方の一般席に降りていって何枚か写真を撮った。イラン人は本当に写真好きである。このチェアホーンのおじさんは、自分から撮ってくれと言ってきたし、J'sGOALからは落とされたが、このおじさんは確信犯的カメラ目線である。こっちの写真を撮るときも大騒ぎだった。別に写真を撮ってもそれが手に入る訳じゃないのにおもしろい。
そうこうしているとピッチレベルに宗教指導者っぽい人が現れた。後ろでは先日話をしたBahram Dayjour氏がビデオカメラを構えてたりする。
さらに待っていると、今度は大人気の軍人さんが現れた。手を振ると男性陣、というか基本的に男しか居ないわけだが、からザワザワザワっと歓声が上がる。イラン・イラク戦争で活躍した人だったりするのかな?
そんなこんなで試合開始を待っていると、目の前にかわいい女の子を発見した。スタジアムには女性は入れない、ということを聞いていたのでダブルで驚いた。
あまりにかわいいので恐る恐る写真を撮ってもいいですか?と尋ねるとOKだという。なんかモノの本ではイラン人女性をむやみやたらと撮るのはやめましょう、なんて書かれていたけど、結構みんなフレンドリーだったなぁ。ホテルのインフォメーションの女の子はかわいくないから写真はダメだって言ってたけど、それも別に写真そのものの事を嫌がっていた訳じゃないからね。そういう意味では空港もそうか。飛行機が移り込む場所や入国審査員を移すのはナシだけど空港の施設は全然問題なような雰囲気だった。だってそもそも日本代表がテヘラン入りしたときにものすごい数のカメラが空港を写してたからね。
ちなみにこの子は試合中に熱狂。イランが先制ゴールを決めたときも、勝ち越しゴールを決めたときも、試合に勝ったときも大騒ぎしてました。でも、ハーフタイムにはお父さんが果物やキュウリをむいてくれてぼくたち日本人プレスに分けてくれるという親切な親子でした。その独特なむき方をしたキュウリの写真も撮ったんだけど、なぜかデータとしてカメラに残ってなくて本当に残念。この日は何枚かそういう写真があったなぁ。
試合結果はご存知の通り。で、試合後の別れ際に、その子から一緒にドイツに行きましょうなんて言われました。ちなみに写真の右隣が果物をむいてくれたお父さんです。
メールアドレスを聞いたのでメールを書こうと思いますがアカウントはyahoo.comだったりします。この子以外にもイラン人のメールアドレスは.comドメインのものが多かったです。一方的にアメリカから悪の枢軸認定されているわりには一般の人のアメリカに対する感情は、憎悪というよりはノーマルかちょっと好き、くらいの感じでしたね。この国を攻撃するのは、アメリカにとっては石油利権を手にする以外の利益はないと思います。
ところで試合後の客の引きはすさまじかったです。この写真は試合後30〜40分くらい経過したものだから、まああり得る状況ではあるんだけど、ものすごい勢いで観客は帰っていった。そんな姿を見てたから5人死亡と言われてもちょっと納得がいった。
ただ、それにしても試合後の表面上の平穏さったらなかったなぁ。まさか5人も死んでるなんて、という感じだったし。
ちなみに試合の翌々日に買った新聞には30人死亡と書かれていました。
で、試合後のミックスゾーンがまた混乱しました。イラン人選手がいる間は軍隊がいるんですが、彼らがスタジアムを後にすると、一気に無法地帯に。というか練習場を含めて警備の責任者をやってた人がイラン人選手と一緒に写真に収まってたしありえんわ。
で、まあ、一般のイラン人に紛れながらコメント取りをしていたんですが、中村俊輔のコメントを取っているときにコートの右ポケットになんか変な感覚が。
ふと振り返ると、イラン人のオヤジがばつの悪そうな顔をしてうつむいてる。スリである。ミックスゾーンになんでスリが居るんだ、と思ったがむかついたので体当たりをして撃退した。すると某SM誌のI記者の脇にすり寄っていく。懲りないヤツだ。仕方ないのでもう一度激しく押したら消えていった。それにしてもたまたま右側のポケットだったから良かったモノの左側のポケットには部屋の鍵とかいろいろ入れてたからやられてたらかなり困ったことになっただろうなぁ。
一通り取材を終えて帰ろうとするとイラン人サポーター2人組に絡まれた。
「勝利の記念にお前の時計を売ってくれ」とジェスチャーしてくる。いくらだ、って聞くと10,000Rlsなんてふざけた事を言ってる。よくもまあ、アルコール抜きでそこまでハイテンションになれるなぁ、という感じ。なんかそいつは最後まで絡んできて、別れ際にほっぺたにキスされた。で、そいつの連れからはビスケットをもらった。イラン人はデブが好きなのかもしれない? いや、でも男はカンベンである。
そんなこんなで大渋滞の中、隣接するオリンピックホテルに駆け込んで30分も待たされ、ホテルに帰り着いたのが23時過ぎだった。
すでに仲良くなったビジネスセンター責任者の姿はないが、申し送り書というのをアシスタントマネージャーに引き継いでくれるという段取りになっているはずだったので、そのまま部屋に戻って仕事を進める。コメント作成に午前1時過ぎまでかかったのだが、Uさんがその前にビジネスセンターに行ったら追い返されたと帰ってきた。参ったなぁ、と思って下に行くと、担当者が「お前か。じゃ仕方ない。明けてやるよ」という顔をしてすんなりと開けてくれた。コミュニケーションって大事だなぁ、と思った。
死にそうな思いをしながら朝方6時頃までかかってレポートを仕上げ、再度センターを開けてもらって入稿。当初の予定よりも大幅にずれ込んだのだが、本当に死にそうに眠かったのでカンベンしてください。
この日は本当に長かった。
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ニュースコラム
W杯最終予選・ペルシャの国取材記・4
by ETOH Takashi 2005.3.25
2005年3月24日(木)
うちのホテルの驚愕のTVシステムを紹介しよう。ぼくの部屋にはTVが入っていて、Catvでいろんなチャンネルを見ることができる。イランローカルの放送はもちろん、CNNやBBCもOKである。そんな我が部屋のTVシステムは当然の事ながらベッドからのリモコン操作が可能である。固定式なので、ベッド以外からは操作できないが。
こちらは冷却機能付きシークレットボックスである。冷蔵庫にも見えるかもしれないが全く別物である。このシークレットボックスを使うと、もれなく冷やしてくれるという優れものだ。再度言うが、これは冷蔵庫ではない。
というか、こんなの見つけると、台所にトイレがあるかの国を思い出しちゃうなぁ(笑)。
浴室はわりと広いのだが、肩まで浸かろうとしても浅すぎて微妙にむずかしい。おまけにガンガン熱いお湯が出てくるので温度調節に難儀する。超高級ホテルでこのていたらく。まあ、それがイランぽくていいのだが。
この日の午前中のメインイベントは、昨日依頼しておいたADパスをもらいに行く事である。ちゃんと仕事が終わっているのか本当に不安だったが、デスクの上に真新しいパスを発見。ホッとした。
そのパスを見せて「これはおれのものだからなんとかしてくれ」と言うと、ちらっとこっちの顔を見て隣の人に手渡す。そこでサインをして受け取りは完了である。パンチで穴を空け部屋にあるひもを勝手に結べと言われた。本当にアバウト。
ちなみに写真として免許証のコピーを使ったので、見た目が凶悪になってしまった。ま、こんなんでももらえれば文句は全くない。
2002年の日韓W杯の時のパシフィコ横浜でのADパスの発給作業は本当に手際が良かった。備え付けのデジカメで写真を撮られ待つこと数分で発給完了である。ま、日本と同水準のものを外国に求めるのがナンセンスなんだけど。
公式練習の開始時間は16時。Uさんの発案でちょっと早めに行って周辺取材をしようということで1時間前にはアザディスタジアムに着くように動いた。実は前日、ぼったくり金額のさらに3倍の金額を請求され、ホテルのタクシーサービスカウンターの連中とケンカしてしまったのでカウンターの人間に頼めないという状況になっていた。それで昨日以来、ホテルの外に出て流しのタクシーを拾っていた。いつもは黄色のちゃんとしたタクシーが止まっていたのだが、この日は白タクが止まってきた。一台目は若いにーちゃんで、6という数字を口にした。60,000Rlsは高い。そのニーちゃんをやりすごすと、続けてもう一台。白タクが止まった。今度はおじいちゃんだ。アザディスタジアムの名前を告げて、値段交渉すると5だという。50,000Rlsは標準価格だし、白タクだということを考えると高いかもしれないが、まあ悪くないと思い乗り込む。
しかしこれが大失敗。アザディスタジアムへは高速道路をひた走ればたどり着くのだが、気が付くと見慣れない一般道に入ってる。大丈夫かなぁと思っていたら、停車中の隣の車に道を聞き始めた。これには参った。Uさん怒り出すし、大変だった。ただ、高速を通るだけでは見えない風景がそこにはあって、一番見たかった路地裏のサッカー少年を見れたのはよかった。
なんだかんだ道に迷いながらも無事にスタジアムについた。喧噪がそこにはあった。
なぜだかゲートの前に人だかりができている。22日に来たときにはセキュリティの数はそれほど多くなかったのだが、この日はイラン軍兵士が5〜6人くらい詰めていてにらみを利かせている。話を聞くと「ダメだ」という。状況が全くわからないのだが、とりあえず足止めを食っているうちにイラン人がどんどん増えてくる。イラン人はイラン代表の練習が目的のようだが、その人混みに閉め出された報道陣が入り交じって大混乱の様相を呈してくる。そうこうしていると、イラン代表のグッズらしきものを満載したトラックが群衆の中で足止めを食らってしまった。ここぞとばかりに略奪が始まった。軍隊がいるのに大胆な民族だ。
全員の報道関係者が閉め出されるならまだわかるのだが、同じ立場の人たちが入っていく事もあって閉め出された報道陣に不満が高まってくる。一度10人くらいでゲートの内側に入ってみたがすぐに連れ戻された。そうこうしているうちになぜだかわからないが、N社が手配したプレスバスがやってきた。要するに閉め出されている報道陣をスタジアムに連れて行こう、ということらしい。そんなこんなでゲートの内側に入り一路スタジアムを目指す。
途中でバスにピックアップしてもらってスタジアム外のゲートまで乗せてもらい、そこでパスの確認をしてスタジアム内に。もうスタジアムは目の前なのだがそこでまた一悶着。目の前で日本代表がセットプレーの確認をしているその外側で、イラン軍兵士に柵越しに閉じこめられてしまった。なぜか練習の主体であるJFAの広報担当者が、イラン側の警備担当者になんとかしろ、と言っているのだが何ともならない。JFAがいいと言っていて、なおかつ全員パスの保有者であるにもかかわらず足止めを食らってしまった。
ビバ、イランである。
入るまでが一苦労。入ってからも一苦労。この分だと試合中も一苦労があって試合後も一苦労があるのだろう。
スタジアムからの帰り道で、なぜかぼくらにビデオカメラを向ける人物がいる。おもしろそうなので話につきあうとすぐに人だかりができた。この国の人たちはすぐに人だかりを作るね。
で側にいた日本語を喋る人に通訳をしてもらっていくつか話をしたんだけど、この最終予選を題材にノンフィクション映画を作ろうとしているという。ノリとすればマイケル・ムーアみたいなもんかな。名前はBahram Dayjourさんと言ってた。
イラン戦の時には日本にも来ると言ってたんで電話くれと話して別れた。ひとつ問題なのはビザが下りるかどうか、という部分だという。
そうこうしているといい時間になってきた。さあ帰ろうか、と思ったら車が一台横付けして、運転席のお父さんが「乗ってけ」と身振りしてる。やばそうだなぁと思ったが、後部座席には女性が3人も乗っていた。
まずは話を聞いた。
「どこまで行くんだ?乗ってけよ」となんとなく身振りでお父さん。
ホテルの名前を伝えると「知ってるから乗れや」とお父さん身振り。
じゃあ乗りましょうか、とUさんと二人で前のドアを開いたが、この車は助手席に2人乗れる仕様にはなっていない。日本車でいえばマーチとか、最近の軽自動車をイメージしてもらえればわかりやすいと思う。テヘランの街でよく見かける韓国のKIA社の車だった。
狭い車中に6人が乗り込んだのだが、それはそれで楽しかった。いろんな話をしてる間にUさんは折り紙で鶴を折っていた。すごい。
柿の種(亀田製菓社製じゃなくて本物の果物の柿の種)みたいなナッツをもらって食べた。最初は堅いナッツだなぁと思っていたら、やっぱり皮は捨てるらしい。で皮をむくのがなかなか難しくコツがいるようだ。ちなみに名前はジャパンとかなんとか言ってた。おそらく柿の種そのものだと思うので、日本から持ち込まれた柿が起源だったりするんじゃないかと思うのだがどうなのだろうか?
途中、ラジオタワーが夕日に照らされてきれいだった。そういえばこのタワーは、テヘランにたどり着いたその日もイルミネーションで楽しませてくれた。
途中道に迷いながらもお父さんが頑張ってくれて無事にホテルへ。最後に挨拶を交わしつつイラン戦後によかったら食事でもどうですか、と誘ってくれた。おそらく26日は仕事が片づいているはずなので、問題はないと思うがどうなるだろうか。というか、一般のイランの人たちと接してみたいので仕事は確実に終わらせる。
一日が終わってこの日はホテルからほど近いレストランに出向いた。
今までは一人前で80,000Rlsとかの店で食べてたのだがこのレストランは二人で40,000Rlsで収まった。ちょっと歩いただけで大違いである。
特大の焼きたてのナン。
サラダ。こっちではキュウリは皮をむくらしい。
ジュージェ・キャバーブ。鳥の串焼き
ちなみにUさんはラムのキャバーブを頼んでました。
帰りに、朝食用にパンを買おうと思ったがすでに店じまい。そりゃそうか。こっち時間で夜の12時前だ。でキヨスクでお菓子を買って帰ることにした。このお菓子がキットカットのパクリ。TakTakだって(笑)。ちょっとおもろい。
夜道を歩いてたら、寒空の下で屋台を出す男がいた。空豆を煮込んだような料理を出していた。売れるのかなぁ、と思っていたら男の人が買いに来てたのでそれなりに需要はあるみたいだ。それにしてもイラン人は本当に写真好きだ。この人もさりげなくカメラ目線になってるしね。
夜、洗濯をした。うーむ、旅してるぜ。
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W杯最終予選・ペルシャの国取材記・3
by ETOH Takashi 2005.3.25
2005年3月23日(水)
ホテルの周辺をしばし歩いてみたが、きれいな町並みである。なんかおもしろいのは水路の中に街路樹があるという事。よく根腐れしないものである。
何となく歩いていたら警察が声をかけてきた。「こっちに来いよ」と呼ぶので着いていくと、結構おもしろいヤツだった。
おれは空手をやっていたんだ、とライセンスカードを見せてきた。
「おれも黒帯だ」と言うと少々驚いていたが、日本人だからありっちゃありだろう。仕事そっちのけで日本人と喋ってていいのか、とも思ったがそれがこっちの人の流儀ということか。
せっかくなので写真でもと思ったら「警察だし仕事中だからまずいよ」なんて言ってたんだけど結局ポーズをとるところがイラニアンである。
ホテルに帰る途中で見かけたカラスの体が一部灰色だった。カラスもいろいろいるんだなぁ、と思った。
日本代表の練習スケジュールとかパス発給に関する情報をとろうと思い、アザディホテルに行くとパス発給についての情報が入ってきた。
「スポーツコンプレックス」だと言うのだが、どこなのかがわからない。アザディスタジアムもスポーツコンプレックスであり、当初はそこに行くつもりにしてたのだが、改めて確認すると全然違う場所だと言うことが判明。やばかった。
某SD誌の知り合いの編集者さんたちも移動するところで、便乗させてもらった。運転手が最初に向かった先は、イランサッカー協会。それっぽいが、そこではなかった。それはそれでいいのだが問題なのは「じゃあどこなのか」ということを協会の職員も把握していないところである。仕方ないのでアザディホテルとイランサッカー協会との中間地点にあるらしいスポーツコンプレックスへと向かう。ここでも一悶着あったが、目的の建物にたどり着くことができた。
目的のフロアにたどり着くと、なんだかどんよりとした空気に包まれている。全然発給作業が進んでいないのだそうだ。手順とすれば、プレス申請リストに掲載された自分の名前を確認し、顔写真と共に担当者に手渡すというごく簡単なものである。ところが全く持ってシステマチックにできていないので、全く作業がはかどらない。仕事をしている人はたくさん抱えているんだが、そうでない人はぼーっと座るだけ。あり得ない。
さらに問題なのは、リストが1ページほど欠落していて申請を通した人の中に名前がない人がいたと言うことである。それをイラン人に英語で説明することの労力を考えたら、顔写真を持っていなかった事くらいなんでもない。
ぼくは現場で顔写真が必要だと知って慌てたが、運転免許証をコピーしてもらい、その顔写真を切り取って渡した。そのコピーも文字通りたらい回しの末に教えてもらえた。それはそれで大変だった。
顔写真の裏に名前とリストの番号を記入し、実際にパスを作っている部屋に持って行く。右側のアリさん(推定)がリストを確認しパスの台紙に名前や国籍を印刷する。そして左側のモハマドさん(推定)が写真をのり付けしてパウチするのである。延々手作業。彼ら、必死である。でもこっちも必死である。彼らはおそらく10年分くらいの仕事をしたはずだ。
そのままそこで待っていても良かったのだが、すぐにはとても出そうにないので、そのまま練習場へ向かった。かなりの時間拘束したこともあって、タクシーの運転手には250,000Rlsも請求された。ぼったくりすぎだが、こればっかりは仕方ない。
早めに練習場に着いたのでオリンピックホテルで食事をすることに。絶対に外れはないということで、非常にコンサバティブなセレクションだが同行しているUさんは食にはこだわりがあるらしい。
ぼくはここでスパゲティボローニャソースというのを頼んだんだが、Uさん笑いながら「辞めた方がいいよ」と言ってる。なんでかなぁと思ったらゆですぎてた。イタリアと日本以外で食べるスパゲティはまずくて食えないらしい。本当にまずかった。外れである。
ここにきてようやくザムザムコーラに出会えた。イラン国産のコーラだが、味はコカコーラと変わらない。
食事を適当に切り上げて練習場へ。イラン代表が日本代表の練習場に隣接したグランドで練習するらしく大勢のイラン人サポーターが来てた。そのせいか現地は混沌としていた。イラン人がいて現地日本人会の日本人がいて、報道陣がいて。セキュリティなんてなくて、誰でも入りたい放題。さすがにイランである。
現地の子どもたちと記念撮影をした後、協会スタッフがJFAグッズを配布してた。粋な計らいである。
練習についてはレポートを見てもらうとしてその後である。練習後のミックスゾーンでもイラン人報道陣とファンが入り乱れて混沌としてた。セキュリティ上の危険性があると思うし、それだけになにも起きなくてよかった。
練習場に隣接するオリンピックホテルでタクシーを呼んでもらい、帰路につく。運転手はフース・ヒディンクの親戚に間違いない。
ホテルではイラン代表チームがレセプションをしていた。試合前に余裕あるなぁ、と思っていたが、それはそれでこちらの人の風習なのだろう。
カリミが歩いてたので、写真をお願いしたら快く応じてくれた。しかし我が親愛なるNikon D1にはCFカードが入っていなかった。なんでシャッター下りるんだ!と怒るやらがっかりするやら。だってカリミから肩を組んできたんだぜ。くぅー。
ノウルーズの期間中は19時でビジネスセンターが閉まるのだが、交渉を続けてたら「あの日本人が困ってるんじゃないか」みたいな認識が広まったらしくわりと簡単に空けてくれるようになった。管理者がいないのが問題だったようなのだが、行儀よく使ってきたことが評価されたらしい。
なんにしても、決められたことが簡単にひっくり返り、決めるべき事が決められていない、おもしろい街だなぁ、テヘランは。
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ニュースコラム
W杯最終予選・ペルシャの国取材記・2
by ETOH Takashi 2005.3.23
21日の続きは21日の下に付け加えてます。
2005年3月22日(火)
イランに到着した夜に、部屋に無線LANのgの電波が飛び込んできていることが判明。持ち込んだPCは確実にキャッチし設定もうまく行くのだがDHCPかDNSサーバーの設定がうまく行かず、外部とはうまくつながってくれない。フロントに聞きに行ったのだが、技術担当者が翌日に出てくるとの一点張りで、どうにもならず。
ただDHCPサーバーは設定ができているようなのでDNSサーバーのIPアドレスさえわかれば問題ないと思うのだが今のところ解決策はない。
ちなみに国内主要サイトのIPアドレスが掲載されているサイトなんてないですかね?
で、翌朝(22日に)フロントに行ったら技術者のアラビィさんという人は「今はノウルーズだからあさってにならないと来ないよ」と言われ、意気消沈。ちなみにノウルーズというお祭りは、新年を祝うもので、このお祭りの強力さを示す一例として最もわかりやすいのが、新聞が発行されないという事実。もちろん日本じゃあり得ないですね。
とりあえず続きます。
ビジネスセンターというところでネットに接続し、そこの係の人間と話をしているときに新聞の話をした。すると近所に「キヨスク(現地読み、だったと思う)」があると言って連れて行ってくれることに。しかしノウルーズの時期と言うことでおそらくはなにもないだろうと言われた。歩いて5分。雑貨店はあったが、そこに新聞はなかった。仕方ないのでそこはかとなくミーハーな空気が漂うサッカー雑誌を買った。
ホテルに帰るとイラン代表が出てきた。なんと偶然にもイラン代表チームと同じホテルだった。そこで同じホテルに宿泊中のUさんと共に練習を見に行くことにした。場所はアザディスタジアムだとのことで、スタジアムに隣接するオリンピックホテルというところまでタクシーを走らせる。
しかしこの日のイラン代表は練習を非公開で行うとのことで、係員が血相を変えて飛んできた。そもそも選手の練習風景は全く見えないロケーションなのだが、徹底した警備だった。
ちょうどお昼時ということで、タクシーを捕まえて、オリンピックホテルから市内の中心街であるバザールの方へ向かってもらった。ところが話がどこかでこじれてしまっていて、着いた先はレストランだった。ただ、せっかくなので食事を取ることに。羊のケパブを頼むと、小麦を煮込んだスープが出てきた。なんかとろっとしていて微妙な味である。
その後メインディッシュが出てきたが、大盛りのご飯がすごかった。こちらの食事の仕方は、長粒米と一緒に出てくるバターを混ぜるらしいのだがぱさぱさ感が多少消えていい感じになる。羊のケパブは肉が軟らかくておいしかった。
「ザムザムコーラはあるか」と聞いたのだが米帝の象徴であるコカコーラしかおいていない。なんだかねじれた国である。
ちなみにノンアルコールビールはありました。
食後に当初の予定通りバザールへ向かう。いくつかの選択肢があったのだが、タクシーはぼられそうだし、歩いてはとてもじゃないが行ける距離ではない、ということで相談の末に地下鉄で移動することに。
微妙な地図を見ながら歩いていると、予定通りに旧アメリカ大使館前を通過した。あのアメリカが大使館を占拠され、そしていまだに奪還できていないという屈辱のモニュメントは、今や様々なメッセージで埋め尽くされていた。なかなか刺激的なところである。
旧アメリカ大使館に隣接してTaleghaniという名前の地下鉄の駅があるので、キップ売り場へと降りていく。そこで切符を買おうとすると係員がやってきて「キップはいいからのれよ」とただで乗せてくれた。何やってんだかなぁ、この国は。
係員公認の無賃乗車の客に対して「バザールに行くならPanzdah-e-Khordad駅で降りろ」と親切にレクチャーまでしてくれて乗り込んだ地下鉄はかなり男臭かった。割と小さめの車体にすし詰め状態の乗客が乗り込んで、一路目的地へ。
イラン人からの視線が痛かったが、特に何かをされるわけでもなく、無事に目的地へ着いた。
同行していたNさんから「カメラは隠した方がいい」と注意されたのだが、それほどの怖さを感じなかったので、そういう部分では不感症なのかもしれない。海外で早死にするタイプの人間なのかもしれない。
ノウルーズというお祭り中という事でバザールには誰もいなかった。ただ、時折日本仕込みの日本語で「こっちにいいものがありますよ」裏路地に誘い込もうとするイラン人がいたのは少々困りものだった。ただまあこれだけデブになると、そんなのについてくほど無垢じゃない。
テヘランの町を歩いていて思ったのは、黒猫の多さである。バザールにも猫が多数住んでいて、突然現れて驚かせてくれたりした。そんな猫にビビりながら歩いているといい具合のバッタもの靴屋があったりする。スリリングな町である。
その後、エマーム・ホメイニー広場を通ってホテルへ。この取材中初めて流しのタクシーを捕まえたのだが、ここでやられた。
ホテルまで4,000で交渉が成立。安いと思っていたら4,000トマーンだといわれた。トマーンという単位は10Rlsの事。つまり40,000Rlsだったのである。まあ、こんな失敗かわいいものである。
一端部屋に帰り、身支度を調えてメフラーバード空港へ。日本代表がテヘランへ到着する日である。
予定時間よりも早めに着いたので、軽くお茶でも、というUさんの誘いに乗って空港の2階にあるカフェへ。そこでノンアルコールビアーが目に入ったUさんがそれを注文。つられてぼくも注文してしまった。銘柄はEFES。なんか飲み過ぎである。全然酔わないんだけど。
「我らが日本代表がテヘランに降り立つ」
その姿を想像するだけでゾクゾク来て、自分的は気に入ったフレーズが頭に思い浮かぶ。その場にいるってやっぱ重要だわ。
とはいえ結局やったことといえば写真を撮ることだけ。気が付いた人がいるかもしれないが、この時の日本代表メンバーはみんなノーネクタイだった。これはイランが西洋文明に対して対抗心を持っており、フォーマルな場でもネクタイを着用しないという文化を尊重した結果である。JFAのセンスはいいと思う。
あらかた写真を撮り、といっても人から借りたNikon D1を使いこなしきれずかなりのシャッターチャンスを逃してしまった。選手たちが目の前を通ったのに本当に残念である。
帰りに乗せてもらったタクシーの運転手がおもしろかった。
英語をバリバリ使いこなし、いろんな話をしてくる。一部屁理屈も紛れているのだが、それがわかっていても納得させられる力強さがあった。ちなみに彼は元レスリングの選手で、テヘラン市で優勝経験を持っていたという。イラン国内でも6位程度の力があり、そのまま続けていればオリンピックにも、という事もあり得たらしい。ただ、そんな彼はヒザのケガで引退を余儀なくされてしまったという。現在は離婚した母親と2人暮らし。
「イラン人の印象は良くないかもしれないけれど、イラン人もいい人がいるんでよろしくね」といっていた。確かに世の中にはいい人と悪い人の二種類の人間しかいない。
晩ご飯でホテルの近所のレストランに行ったが、高級店だった。外れ続きである。
この日はUさんが魚のフライ(Golf Fishとかなんとか言うらしい)でぼくがチキンのステーキを頼んだ。イランのチキンはぱさぱさしているものが多かったのだが、これは適度に脂がのっていてうまかった。
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ニュースコラム
W杯最終予選・ペルシャの国取材記・1
by ETOH Takashi 2005.3.22
いよいよイラン戦の取材開始である。気合いが入るが、気負いはない、という感じ。いろんな人から気をつけて、と声をかけてもらったのだが、そう言われるほどには心配はしてはいない。なるようにしかならないし、それはそれで取材のひとつの側面になるわけで。
もちろん命を取られてしまうようなことがあると困るのだが、そこまでの事はさすがにないだろう、と高をくくっている。もちろん有り金をだまし取られる事は十分に考えられるが。
ところで改めてイランという国について調べてみたのだが、本当にこの国は誤解されていると思う。なにしろ文字としてアラビア文字を使っているのでアラブ諸国と同列にとらえられがちなのだが、実際はアラブとは全く違う文化を持つペルシャという国がその源流にある。
なので言葉もアラビア語ではなく、ペルシャ語というものが使われている。
そんなイランに渡航するのは今回が初めて。男ばかり10万人を集めるアウェイの雰囲気はもちろんのことテヘランという町の風景など楽しみにしていた取材である。
サッカーの話はJ'sGOALに掲載させてもらっていくが、それ以外の部分の話をこちらにまとめていこうと思っているのでよろしくお願いします。といっても、まとめられるのは仕事がない行きの飛行機の中だけで現地では現地レポートに追われてなにも書く余裕はないような気もするが…。
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2005年3月21日(月)
結局徹夜で別件の仕事を片づけた。
全く関係ない話だが、朝方、240V対応の電源ケーブルを探すために家の中をひっくり返していたら、何ヶ月か前にうちの部屋に侵入してきた(その現場を目撃していた)トカゲを見つけた。激しくやせており、緩慢な動きで体の一部にカビみたいなのが生えているのだが、生きている。強靱な生命力だが、冬の寒さに半冬眠みたいな状態だったのだろう。ちなみに我が家にはこたつ以外の暖房がない。
そんなこんなで一通り荷物をパッキングして成田へ。300Vまで対応できる電源ケーブルにLANケーブル。電話線。モデムチェッカー。モデムアタプターに電源アタプター。電気まわりの小物に関しては忘れてしまうと致命傷になるので、慎重に荷物を用意する。
ひとつ問題なのはおよそ1週間の滞在期間中にどれほどのお金を携行しておくのが適当なのか、という事。イランという国はイスラム革命によって現在の政治機構になった国で、近代的な社会からは一線を画している。そんな訳でトラベラーズチェックにしても、クレジットカードにしても、高級ホテルであっても使用できないところがほとんどなのである。だからこそ現金を常に持ち歩かねばならないのである。
そんなイランで通用する通貨は、イランの通貨であるイラン・リアルと、USドルである。そのほかにもユーロが浸透してきているとのことだが、実際はその存在感は薄い状況だとのこと。そのイラン・リアルへの両替はイラン国内に入ってから、USドルを介してでないとできないということなので、USドルをどの程度持ち込むのかがポイントとなってくる。
イランの物価がわからない状態ではあまり派手にドルに換金するのも問題だしなぁ、と考えていたのだが旅行ガイドブックには日本の物価の五分の一程度だと書いてある。その一方で、某中東のスペシャリストくんに話を聞くとどんなに気をつけていても、普通にぼったくられるし、1日1万円程度は持っていた方がいいのでは、と言われ悩んでいた。
そんなとき、たまたま同じ便の飛行機に乗り、同じ日程で取材をする宇都宮さんから持って行く額を聞いたのでぼくも同じ水準の額を用意した。ちなみにいつだったかの旅行で余らせた米ドルをT/Cを200ドル含んで500ドルばかり持っていたので、300ドルほど両替した。ちなみに成田空港のレートは1ドルあたり107.54円だった。
ガイドブックによると1ドルあたり8770レアルで、1円あたりに換算すると約86レアルだと書いてある。しかし、上記のレートで計算し直すと1円当たりにつき81.5レアル程度になるようだ。もちろん空港での両替時にどの程度のレートになるのかでこの数字は変わってくるわけだが。
・15:00に飛行機に乗り込む。機内にはなんかイランぽいような音楽がかかっている。
・15:30ごろに飛行機がエプロンを離れる。成田空港反対派の拠点に目を奪われている間に、気が付くとある一角だけ酸素マスクが降りてる。明かな故障である。巡航高度に達した後に職員のおじさんが一生懸命直してた。それでも何度かマスクが降りてきたが、インチョン空港を飛び立つころには直ってた。
・16:20。軽食。サーモンのマリネに蒸したチキンとチーズ。そして丸パン1個にコーラ。そしてデザートという品揃え。当然の事ながらイラン航空ではアルコールは出ない。しばらく食べているとアテンダントが丸パンのお代わりを持ってきた。勢いでひとつもらう。
・ちなみにイラン航空は「Sea of JAPAN」でした。こんな事を書くとイラン航空がVANKからメール攻撃受けちゃうかな(笑)。
・17:55ごろ。インチョン空港に着陸。ここでソウルから乗り込む乗客を待つのである。ガラガラだと思っていた機内が混み始める。結局結構な搭乗率に。隣に座ったイラン人の吐く息が激しくニンニクくさかった。
・19:25ごろ。機体が移動を開始。到着直後にはまだ日が残っていたのだが、すでに暗闇に。20:00ごろに離陸。このあとおよそ9時間かけてテヘランへと飛行するのだそうだ。ちなみに単純計算で、日本時間の午前5時。でも現地の着陸予定時刻は23:20。そのおよそ5時間半の時間差が時差になるのだがイランではサマータイムが実施されており、時差は4時間半という話もある。
・20:40ごろ、夕食が配られる。鶏肉と牛肉を選べたので鶏肉を選択。胸肉を焼いたものにミートソースっぽいものがかけられており、それにイランで食べられている長粒米(いわゆるタイ米)とマッシュポテトが添えられたものがメインディッシュ。そのほかにサーモンマリネとサラダのセットにサラダのみの単品が一品。ここに丸パンひとつに飲み物が付く。ちなみに先ほどの軽食同様デザートも付いてきた。
一通り食べ終わると搭乗員がMashad Leatherと印刷されたキットを配りはじめた。空けてみると、洗面+睡眠グッズだった。
続く。
続き。
日本時間での現地到着予定時間は22日の午前5時頃。昨日もろくに寝ていないということでさすがに眠くなる。気が付くと口の中が気持ち悪くなってきてたのでさっきもらった洗面セットで歯を磨くことにした。たいがい日本人はアイディアの宝庫で、折りたたみ歯ブラシとかも作られていそうだが、この歯ブラシはコンパクトで良かった。
・03:00(日本時間の22日)。軽食が出てきた。菓子パンとオレンジジュース。バタピーがセットになっていた。
・04:05(日本時間の22日)。イランの現地時間は21日の22:35だと表示されている。ちなみに外気温は-55℃だった。リアルタイム表示される広域地図は、イランの上空。テヘランは目前である。
・04:44(日本時間の22日)。テヘランのメフラーバード空港に着陸。結局出入国カードに記入はしなかった。パスポートチェックで大渋滞したが、妙にゆっくりと捌いている印象だ。一人一人を見極めているのだろう。
女性の審査官にいくつか質問をされ「サッカーできたのか?」とかるく言葉を交わして入国である。すぐ後ろにあるエレベータを上るとバゲッジ・クレーム(預かり荷物受取所)で、その右手に両替所がある。
レートは、柱の上に取り付けられた液晶モニターで表示されており確認が可能。ちなみにUSドルのレートがイラン・リアル(Rls)を買うときのレート8854で、売るときが8874。(1ドルでイラン・リアルが8854手に入る)
日本円は100円で8434Rlsが手に入り、逆のパターンでは8494Rlsを支払えば100円にしてくれるというレートである。
つまりこのレートで計算すれば1ドルは100円よりも1.05倍強い、つまり1ドル当たり105円というレートで計算できるということになる。
同じ日に、成田空港でドルを買ったときは、1ドル当たり107.54円を取られたので、これからイランに来られる方は、イラン入国後に日本円から直接イラン・リアルに両替するのもありだろう。でもぼくは実際にはやってないので、本当にできるのかどうかの保証はできませんが。
ちなみにまずは100ドルだけを両替。一気に88万Rlsになって小金持ち気分が味わえた。困ったのは、この100USドル紙幣は古くて両替はできない、と言われたこと。どこぞの犯罪国家が国家的産業のひとつとして偽札を作るもんだから…。
ちなみに線引きのラインは1996年とかって言ってたような気がする。
新年のお祭りの時期だという事で、空港はものすごい人混みである。その人混みをかき分けて前へ進むと「タクシーはどうですか?」とイラン人が声をかけてきた。見るからにやばい。まあ降りるときにごねられてぼられるか、変なところに連れて行かれて脅されるか、という感じだろう。
ここは素直に「エアポートタクシー」を利用することにした。ホテルまでは45,000Rls。日本円で547円。安そうにも思えるが、世界有数の産油国で、ガソリンの値段が日本の約20分の1のイランにとっては大金になるらしい。
かなり荒い運転でホテルに到着するとETO名では予約が入っていませんと言われて焦るが、とりあえず泊めてくれると交渉がまとまる。イラン人、結構優しい。
しかしその後改めてチェックすると予約時にファミリーネーム(姓)とパーソナルネーム(名)を逆にしていた事が判明。頼むぜN社さん、ということで無事にチェックインできました。
以上、終わり。
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